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2006.03.12

ミロシェビッチの死につひて

昨日のことですが、元ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)大統領のソロボタン・ミロシェビッチが死亡しました。

民族紛争の真相解明さらに困難に 元ユーゴ大統領死亡

多くの人があまり関心のないことだとは思いますが、僕にとっては結構インパクトがある出来事でした。

90年代の旧ユーゴ紛争や2000年のコソボ紛争でセルビア民族主義の中心人物として、「民族浄化」という名目のもとで旧ユーゴでのイスラム系住民やアルバニア系住民を虐殺を容認した人物です。

その思想は1997年にセルビア系武装組織がイスラム系住民を8000人近くを「民族浄化」の名のもとで虐殺した事件は「スレブレニッツア虐殺事件」として有名です。ヨーロッパではホロコースト以来の虐殺事件として汚名を残しています。

去年の末に、なんかの番組で、そのスレブレニツァの虐殺事件の一部始終をセルビア系武装組織の兵士がホームビデオで撮影した映像を見たのですが、ものすごく衝撃を受けました。15,6歳の少年や成人男性、5,6人が腕を縛られて、セルビア系の兵士にせかされるようにトラックから降ろされ、野原に連れて行かれ、そこで一人づつ前に歩くように命令され、10歩ぐらい歩いたところで後ろから銃で撃たれ、殺されるというシーンはその虐殺という出来事をまざまざと見せつけるものでした。さらに衝撃だったのは、残り二人になったところで、兵士達は虐殺をやめ、その二人に自らが殺した住民達を穴を掘って埋めるように指示し、その作業を終えたところで、その二人を殺してしまうのです。

こういう一連の映像を見て、そういう人の命を奪うことを事務的にこなす人々に言いようのない怒りがこみ上げてきたものです。ニンゲンというものは、本来は残虐な生物なのかも・・・と悲観的にさせるような映像でした。殺される側としては、その民族とか宗教とかそういう選択できない要素で殺されるわけですから、その不条理さはいかほどのものだったでしょうか。

現在でも表面的には平穏化しているように見えるかもしれませんが、この地域での民族対立は根深いものがあります。

その対立起源は17世紀のオスマントルコのユーゴ支配に遡り、その解決は非常に困難です。

しかし、ミロシェビッチは国内の求心力の為に旧社会主義体制で忘れかけていた自己の民族とその対立という彼らの深層心理に存在するアイデンティティの箍(たが)をはずしたという、いわばパンドラの匣(はこ)を開いてしまったという点では大きな罪を犯したと思います。

人々の眠っていた憎しみを呼び覚ましたのです。

記憶の中の憎しみは人々の心の中で大きく倍加し、その心理作用がホンのささいなことで行動という手段に出たとき、大きな悲劇が生まれます。それが虐殺のプロセスです。

結局、彼はコソボ紛争でEUとアメリカの手痛い反撃を受け、国内で失脚します。

現在は、オランダ ハーグで開かれている旧ユーゴ国際戦犯法廷で公判中でした。

ミロシェビッチの死によって、一連の紛争や虐殺事件を指示したとされる中心人物はいなくなり、(虐殺事件の実行責任者のムラジッチは逃亡中)その根本の真相は不明のまま、指示され実際に虐殺を実行した下級兵士の一部のみの裁判が中心になってしまいます。その裁判が形骸化する可能性が大きくなってきました。

結局我々はその汚点から多くのことを学ぶ機会を失われたような気がしてなりません。

そして歴史はいつか必ず繰り返される。

ミロシェビッチにしてみれば、この裁判の不当性を主張していたので、裁かれずに死ねたことはこの上ない幸せだったことでしょう。以前セルビアでは彼を指示する人々は多いらしいです。後世への神格化にはうってつけの条件といえるでしょう。

歴史というのが、不可抗力的なタイミングによって成り立っているのだとそう思わずにはいられません

今日はマジメに語ってみました。

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